taiyo__aoi’s blog

青井太陽の壮絶な歴史を振り返る自慰ブログ

反抗期

中学生の頃母親にこっ酷く怒られた。

僕はそれが我慢ならなかった。

しかし、僕は優しい人間だから他人に八つ当たりはしない。

母親が使っている電気シェーバーでケツ毛を剃ってやった。

次の日母がその電気シェーバーで顔の産毛を剃っていたので、ざまぁみろと思った。

可愛い反抗期である。

妹爆誕

小学6年生の時、妹ができた。

出産は母の実家の愛知でした。

立ち会ったのを覚えている。

名前は楽(らく)

自分に妹が出来るとは思ってなくて驚いた。

赤ん坊の唇は柔らかく、その日めちゃくちゃキスした。

墓場まで持っていくつもりだったけど無理だった!

妹がこのブログを見てないことを祈る!!

京都での新しい父

京都には2年間いた。

名字は「古田」から「青井」に代わり、生活もガラッと変わった。

というのも、再婚した父はお坊さんだったのだ!!!!

これがまた厳しい。

朝5時起床→犬の散歩→詩の朗読→座禅→お経→学校

毎日続けた。

最初は辛かったが時期慣れた。

ただこの頃から僕は父親との性格の相性の悪さを感じてた。

僕の声は父への恐怖心からか少しずつ小さくなり始めていた。

古田太陽→青井太陽

自慢の小学生時代

僕は足が速かった。

運動会では毎回クラス対抗に出ていたし、学年でも常に一番だった。

5年生で100mは12秒8だ。そりゃはやい。

小学生は足が速い奴がモテる。自分の人生を振り返ると一番モテていた気がする。

ちなみに中学生は悪い奴がモテ、高校生はイケてるか面白い奴がモテる。高校卒業後は金のある奴と社会は上手く出来ている。

800m走では京都府4位と好成績だった。

転校先では英雄と呼ばれ、クラスの人気者だった。

そう、この時までは。

再婚そして引っ越し

僕が小学5年生の時、母親は再婚した。

たまに家に来ていたし、三人でよく出かけてたから子供ながら勘づいていた。

「結婚したいんだけど太陽はどう思う?」母親に聞かれたのを今でも覚えている。

「二人がしたいのならいいんじゃない?」そう答えた気がする。本心だった。

二人の結婚を止める理由が自分にはない。

ただ引っ越すのは嫌だった。

幼馴染や友達がいたし、小学生の僕は人気者だったのだ。

足だって速かった。好きな人もいた。

僕は愛知から京都へ引っ越した。

元父との思い出

「太陽」と名前を付けてくれたのは元父だ。

本当に感謝している。

離婚の原因は元父に好きな人が出来たかららしいが、大人にも色々あるのだと幼少期の僕は妙に納得していた。

離婚した後もたまにテーマパークに連れて行ってもらったり、キャッチボールをしたのも鮮明に覚えていた。

中学生に入りそれ以降、元父に会うことは無かった。

離婚

僕は子供の頃からマザコンだった。

母親の事は「なおちゃん」と呼んでいたし、寝る時もいつも手を握らないと寝れなかった。

原因は色々あるが、最も大きいのは離婚だ。

両親は僕が生まれてすぐ離婚した。

物心つく頃には母との二人での暮らしが当たり前だったんだ。

母は常に働いていたので、僕は学校が終わったらよく学童に行っていた。 たまに鍵っ子として外で遊んだり、友達と家で遊んだ。 そんな暮らしに満足していたし、何一つとして不満は無かった